かなしいこと

かなしいことには目を背けたくなるけど、まぁ、仕方なく受け入れる。
今の私にはそれすらできない気がしなくもない。



人間のパターン認識は、ほんとに恐ろしい。
どこかでふれたことのある、とある感覚というものに対して、
なぜその触れた事実を全く思い出せずに、そのときの
感情だけを引きずってみたりするのだろう。



でも、過去に触れた事実にふと気が付き、
何だ、そういうことだったんだ、私は間違った、って
思っても、そのときには、だいたいもう遅い。



でも、一方では、もしかすると、この間違う行為自体が重要で、
それが感覚や勘という言葉に置き換えられていくものなのかもしれない、とも思う。



あるひとつのことが全体を表しているとすれば、
間違って感情を引きずることが、
結果的には、あってた、ってことになるのかもしれない。
だから、勘でよいのかもしれない。



絶対に触れることのできないことに、擬似的に触れられたと思えば
それはそれでいいのかな。