差異によりかかる私

資本主義というのは、結局、何かの差異のあいまで利潤を得るというモデルである、というのは、どっかの本とかいろいろなものの受け売りですが、私自身は、知らずのうちに、とてもヘンテコな方法で、そういう差異をうまく生み出して生きようとしていたのだなぁと気付いてしまいました。熟練した何かを持っていなくても、流動性というリスクを負ってもよいと思うのであれば、生きていく方法はある、という話です。
でも、それって、あまり良い生き方とは言えないな…とも思うわけで。少なくとも私が教えられてきた価値観に沿うならば。