この状態は梅雨なんだろうか...

よくわからない。



だからといって、去年の梅雨っていつからいつだったよねー、と言われてもそれもよく覚えていない。



覚えていません。



結局、時系列で春と夏と秋と冬がどんどん過ぎていくのだけれど、それがいつという絶対的なところというのは、あまりよく覚えていない。



例えば、私はオスカー・ピーターソンのあの曲を頭の中でリプレイしてといわれれば、かなり詳細に思い出すことができるけれど、それがいつ頭の中にインプットされたかはよく分からない。



色んなときに何回も聴いて積み上げられてごっちゃになってる。



時系列の絶対的な時間というのを覚えられないのは、それ自体に意味がなく、覚えた内容にしか意味がないからなのだろうか。



それを突き詰めて考えてしまうと、結局、その場その場の感動は、過去の引き出しとの整合性、というか、何らかの強化学習でしかないのだろうか...



実は、私はブログを毎日ちゃんと書いていなかったので、そのときの気持ちとかというものがいつ発生していつ消えうせたのかとかよく分からなくなってしまっていて、それはとても残念なことだなぁ、と今さらながらとても思っています。この強化学習の仕組みを少しでも明かそうというのなら、ブログを書くのは、というか別に日記でも充分なんだけど、でもやっぱり最近の技術の進歩に感謝してソーシャル日記にしよう、ということでブログを書くのは、重要なことなのではないかと少し思いました。



毎日でなくてもいいから、1週間に1回ぐらいは書いたほうがいいのだろうな...



折角強化された春夏秋冬の概念も、何となく年々あやしくなっていて、でも、そんなのはデータでも引っ張ってくれば分かるんだけど、さすがにそれによる自分の心の揺らぎは、どこに書いてあるわけでもなく、私の心にの中にふわりと浮いたまま。しかも、次の年にもそういうことが起こらなければふいに忘れてしまったりで、でも、何かをトリガーにぎゅっと思い出されて泣けたりする。ぐすん。