或る夏の昼の雑感



今日は、歩くのには暑すぎた。
それでも、緑が風に揺れれば、少しは涼しく感じる。
感覚って、変なものだな、と思う。





感覚といえば・・・。





私は、幼い頃に、ある感覚を身に付けた。ある場面では、それはとても便利で、私はその感覚に頼って生きてきたところがあった。

でも、あるとき、ふと気付いた。その”ある感覚”に頼っていたことで、普通の人には見えていたあるものが、私には全く見えていなかったということに。










昔話はさておき。



この前、不思議な感覚に出会った。端的に言ってしまうと、この日のことなのだけれど。



そのとき、そこでは、ラブ・ミー・テンダーが流れていた。大きな拡がりとともに、果てしなく遠くの世界までがそのゆったりとした波のなかにおおわれてしまうようなかたちで。そして、そのメロディには、ことばがのせられ、ていたにも関わらず、わたしのあたまはそのことばに反応できなかった。ことばがたどりつく前に、すでに、ある種のもの、が到達して、わたしのあたまを占拠していた。



「人は人によってしか満たされない」という思いは、そのときに、自分のあたまの中でふと思いついたことだ。とらえようによるかもしれないが、それは、あの曲の歌詞が指し示す方向でも、ある。だから、歌詞を聞いていてそう思ったのでは?という考え方もできなくはないのだが、でも、あのときは、ことばではなく、別のある種のものが私にそう思わせた気がしてならないのだ。










別にたいしたオチがあるわけではないのだけれど、その後、家に帰ってきてふと思ったのは、私は、ことばを聞いているとき、ことばにならない部分をどれほど正しく意識できているのだろう、ということ。多分、身体はその辺のことをよく知っているのだと思うのだけれど、それをどのくらい論理的思考のなかに介在させることができているのだろう。ことばは簡単に論理的思考のなかに介在してくるものだけれど、それがかえって、正しいことを見えないようにしているような気がした。・・・それは、私が幼い頃に身に付けたあるラベリング能力が、普通の人には見えていたものをすっぽり覆い隠していたのと同じように。










ことばを紡ぐのに、私は声を発しなければいけない。筆を動かさなければいけない。身体は自然とそこに思いを込める。はず。なのに、いま、わたしは何をやっているのだろう。そう、キーボードをたたいている。どんなに強くたたこうと、文字は変わらない。まぁ、だから、しかたなく、さりげなく、太字にしたりしてみれば、とか思ったが、それは、自分の頭が伝えようとしていることであって、身体が伝えることでもない。悲しいけれど、そこで遮断される何かを外界に浸透させる術が見つからない。(それが、どの程度、重要なことなのかどうかは別として。)










10は、1010。11は、1011。デジタルは便利だ。



でも、10は、1010より不便なだけなのか?10にしかないものを、私は知らないのだろうか?









そんなことを考えながらウェブをめくっていたら、ふと、藤田省三氏の「精神史的考察 或る喪失の経験―隠れん坊の精神史―」の一節をとあるサイトで見つけた。

経験が、前頭葉だけのものでなく身体だけのものでもなく感情だけのものでもなくて、心身全体の行なう物事との交渉である限り、心身一体の胎盤が備わっていないところには経験の育つ余地は先ずないと言ってよい。そういうところでは、経験となるべき場合においてさえ、そこから一回きりの衝撃体験だけを受け取ることになるであろう。

私は、高校生のとき、これを読んだ(というか、読まされた)。山崎正和氏の本とセットで。

その人が、何故、山崎正和氏の本とこの本を読ませたのか、今思えば、そこには明確なメッセージがあった。ただ、そのときの私は、そのメッセージには全然気付いていなかった。



気付いていたら、人生変わっていただろうか?





















補足:

こんなこと、みんなはもう気付いているのだし、書くだけ、ばかっぽい。恥をさらしてどうする、と、思う。でも、思うだけ。(かわいいきのこキャラを書きたいところだが、私にはその才能もない。)

そういえば、私は(当時はここのアカウントではなかったけれど)オメガブックマーカーとかいう不名誉?なものに選ばれたことがある。それは、自分自身との関わりというか、実感が感じられるまで放置しているからに他ならない。

そういう実感みたいなものは、自分の中で咀嚼したほうがいいのかもしれない。だけど、ぶくましたりダイアリを書いたりして、今を流れる文脈の中に自分をおいてみることで何が得られるのかをちょっとだけ知ってみたいな、と思って、気付けば、いつも登録ボタンを押してしまうのであった。そのうち、気まぐれに、全部削除しているかもしれないが・・・。