適当な題名すら見つからない

一体、私は何がしたいのだろう。人生なんてものは、多分、終わってみなければ分からない。ついでに、多分、終わったときにも分からない。そして、終わるまでには、たくさんの出来事がある。その出来事の積み重ねはミルフィーユみたいな層になって、何かを覆っていくから、結局、私たちは、その過去のある時点に経験した何かを、時折、現在の思考と勘違いする。その勘違いの末は、どこかの誰かの現在の思考から、過去のある時点の経験と、自分の未来を知る。

私は、こう年をとれたらいいのに、という、いわゆる取るに足らない理想がある。(そもそも、年がとれるかどうかは別として。)にもかかわらず、私の未来予測は、大概、自分はこうなりたくないな、と思う方向に向いている。今の私にできるのは、どこかの誰かから、多くを知り、そうならない道を探すことだけだ。そんなことは分かっていても、易きに流れ、果てには、別の言葉で誤魔化そうとする。私は、そんな夢の中で、言葉に溺れて、毎日を生き続ける・・・。

そんなことを考えていたら、今日の昼間にテレビで見ていた出来事ですら、全て茶番劇だったような気がしてきた。話のうまいMさんの説得工作は全てがお芝居で、裏では、仲良くよろしくやっていたのではなかろうか、とか、解散は不利といわれている政党こそが、自分たちの勝利を確信してお芝居をうっていたのではなかろうか、とか、とか。だいたい、本当に解散しないと思っていた人が世の中にはたくさんいて、不意をつかれたと思った人もたくさんいて、でも、そのことは逆に、解散しないという話が、全くもって真ではなかったということを表しているようなものなのではなかろうか、とかとかとか。そんな私の物語りには当然真実はなくて、そういう妄想は、自分があまり選挙にいきたくないという気持ちを誤魔化そうとしているもの以外の何者でもない。

あーあ、困ったな。