最期に思い出すものって何だろう?

たぶん、私の育った場所。

たぶん、日本のうた。

たぶん、私を支えてくれた人たちのこと。

仕事とか、今はまっているものとか、戦争とか、選挙とか、そういうのは、もともと私の心にあるものではない。だから、理解するために努力しなければいけない。サボる自分に警告。










唐突ではあるが。

東京という場所は、私も未だに慣れないけれど、その理由は濃度が低いからのような気がする。ものすごくものすごく低い。その代わり、そこに生きる人たちが必死に拡散しようとする。そこに、人のエネルギーを感じる。
でも、そんなに必死にならなくても、勝手に拡散するという考え方もあるが・・・。まぁ、それはここでは敢えて触れず。というか、私もよく分かっていない。

ちなみに、この前、ひさびさに郊外に行ったら、その濃度に圧倒された。皮膚から一歩も外に出られないのではないかと思うほど、自分を濃いものが取り巻いていた。その場にいかに自分を浸透させていけばよいのか?それは、最近の私が普段行っている拡散という行為は全く別物だ。










上のふたつを確実に結びつけるオチなどを考えようと思ったが、あまり無理しても仕方ないので、やめておく。私が知っているのは、この二つが、同じ日の違う時間に、私が思ったことだ、ということだけだ。

と思う。