10月16日。メモ。
ある種の充足感、について考える。
私は、うたをうたうとき、心のすべてをほうりだす。
噴き出しそうになる熱いかたまりが、できるだけ遠くまで届くように。
でも、叫んだりはしない。
ほんとうは叫んでしまいたい、暴れまわりたい、そのくらい強い思いなのだけれど、叫んだところで他人にはうまく伝わらないし、その上、自分をむやみに傷つけるということを知っているから。
叫ぶどころか、声を大きくすることもない。
そのかわり、(言葉にすると逆説的で変だし、多分真実ではないのだけれど、)音を心で消す。音を消してはじめて、心が生きる。
そのときの感じというのは、何とも言えない。
どうにかこうにか、書いてみるとすれば。
大きく、うわーっと広がる大草原を覆う、大きく、ぐーんと果てしない星空。私の心は、その中のたった一つの粒子。
そういう凝縮がおこる。
そのとき、私に生まれるのは、世界の中に自分も収まっている、という満ち足りた気持ち。
安心感。
***
そんな充足感とは、逆に。
正直なところ、ブログを書いていると、何となく、身が削られていくような感じがする。
同じように思いを書こうとしても、うたのようにはうまくいかない。
ここで使うのは、言葉だけ。私は、そこまで、言葉の使い方に長けていない。
どうしていいか分からないから、私は叫ぶしかない。
そこに生まれるのは、収まりの悪い拡散。
削られた身が、ちぐはぐに世界に組み込まれていく。
そして、私は傷つく。そのちぐはぐさに。
無意味に、かもしれないし、意味があるのかもしれないし。そこのところは、今の私にはよく分からないのだけれど。
言葉を心で消せるような日がいつかは来るのだろうか?