便利なものに対する雑感

寿命の決まってないものたちを、終わらせる、ということ。


誰も、お金を止められないし、誰も、インターネットを消せないし、
誰も、はてなポイントを抹殺できない。


いや、正確には、なくすだけなら、簡単かもしれない。
やろうと思えばできる。
みんなで野焼き。
お金も、インターネットも、ポイントも。


だけど、それらが無くなったとき、私たちは、どうすればいい?


何とも言えない不平等が、そこには生まれ、
持ちたくもない感情が、そこには生まれ、
代替品ができるだけだ。


便利さなんて、そんなもの。


後ずさりなんて面倒なことは、
よほどのことでない限り、
自分の身近な身近な何かを壊されない限り、
しようなんて、思わないよ。私は。
私だけ・・・?





そのかわり、とても、気をつけなければいけない。
便利さと引き換えに、手放したものが、
もし、自分にとって大事なものならば、
それをどうやって、手許に置いておけばよいのか、
ということ。


私には、全然、それがうまくいかなくて、
血を流しまくるわけなのだけど。
だから、結局、便利なのかどうなのかと言われると、
そうでもなかったりして、とか、答えたくなる。
だって、手許から離れようとするものを追いかける時間やコストのほうが
よほどすごい量になっているような気がするから。
しかも、そうやって格闘した挙句に、結局、手に入らないの。
あり得なくない?


あ、あれって、私の幻想だったんだ、みたいな。


手が届くようで、ぜんぜーーーん届かない!


昔の人たちのほうが、よっぽど、ちゃんと、手に入れてたんじゃないのかしら?