消費のお話の続き…

最近は、ブログ書いていても、消費されている、という感覚がなくなってきた。消費させるものがここにないからか、まわりの密度が薄くなってきているからか、…。自分もうすく、まわりもうすく、…。消費されている気配を感じるときの圧迫感がないのはほっとするけど、なんかふらふらしていてバランスとりづらい。でも長く続かなければ、そのふらふらは一定の振幅のなかで収まることにはなるので、まぁいい感じではある。ただ、この状態も長く続けばそれは相応にわけわかめな方向へふっとぶことになるわけで、それを避けるために圧迫感のあるほうへと誘導されることになるのだろう。そんなふうにして濃淡のある生活というのは必然的に発生し得るものだ、というわけのわからない結論を導いたところで眠くなりました。おやすみなさい。