書きたいことを書こう

誰かに何かを信じてもらえることがあるとすれば
それは本当に信じている人からの言葉があるのか
お互いの理念をいったんゼロにして話すことができるか
そういう方法でしか無理なのだと知った。



あの日の私にはその両方ができなかった。



私は心のどこかで、本当に信じている人から言葉を
もらっていることについての優越感を持っていたと思う。
自分が偉いわけではないのに。
しかも、その教えてもらった自分の理念が正しいと言って
譲らなかった。
その方法では、自分や遠い他人を守れても、
身近な他人は守れないことは知らずに。



時間は戻らない。
だから、今の自分にできること、ちゃんとやろうと思う。