the moon had turned to gold

なぜ、ふつーは、金は青より良しとされるのだろう?



地上にないから?



地上と違って、地下というのは、とても怖いところだ、と、私は思っている。



地上は、いわば日々積み重ねられた歴史の一番表面であって、私たちはそこで今を生きている。言い換えると、私たちはそこで行動し、そして、日々積み重ねられたものから生じる、ある種の事象を誰かと共有している。共有とはいっても、同じ場所で同じ時間を少しだけ同じ感覚で共有しているだけではあるが、それでも、私たちは とある場所の今を知っている といっても、あまり問題にはならない気がする。



一方、地下は、日々積み重ねられた歴史そのものであり、私たちはそこに生きているわけではない。にも関わらず、幸か不幸か、私たちはそれらの一部を時空を超えて共有することができる。ここでいう共有は、上に記した今の共有とは全く別のもので、異なる場所で異なる時間を異なる感覚で共有することになる。それは、ある場所のある過去の一時点の今を知っていることにはならない だろう。但し、今の今を論理的に説明するための論拠になることはあるのかもしれない。



話を戻すと、地下を掘るというのは、そういう「知らないところをうろちょろする」という、かなりおっかなびっくりな作業であるが故に、私は怖さを感じている。ので、そういう作業の末にしか手に入らない金が良しとされるのは仕方がないか、とも思う。一方、青は、どこまでも私たちと一緒。これからは爽やかな青空の季節・・・。























・・・とか、書いてみたものの、そんなわけはないわけで、単純に希少性の問題だったりしますよね。あはは・・・