郵貯ってなんだろう?のまえに・・・








お断り:このエントリは、政治学社会学・経済学・等々にそれなりに疎い無党派層の一市民の妄想以外の何者でもない。










この前 は、あまりにもふざけすぎた。ので、
きょう は、まじめに書こう。と、一応、思う。



しばらく、郵貯関連のはてブを着々と積み上げていたのだが、何だか多すぎてよく分からなくなってきたので、ここにまとめることにする。










そのいち。



正直、今回の選挙はとても話題になっていると思う。サッカーとかオリンピックとかと同じレベルで。それは、素直にとてもうれしい。ただ、ネット界隈は、少しおかしい、とも思う。ちょっとはしゃぎすぎというか。
このハイテンションな感じを見ていたら、鈴木謙介氏の『カーニヴァル化する社会』という本を思い出した。ちなみに、アマゾンに書かれた、この本に対するフェイク・ザ・コバトン氏の書評は、まさに、この今の現実のために書かれたのではないかと思うような内容だ。

祭りの後が、後の祭りとならないために。

 東浩紀動物化するポストモダン北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』と並ぶ現代文化=社会批評の力作と言うべきだろう。
 まず、率直な疑問を述べたい。単刀直入にいうならば、フランス革命にしてもナチス台頭にしても、「カーニヴァル」ではなかったか、ということである。本書では、「カーニヴァル」化する政治はサステイナビリティがないとされている。著者はこのことを、「コントロール不可能性故に、危険な帰結を導く」ことよりも、「より重大な問題」かもしれない、と指摘するが、しかし、ここは憲法学者サンスティーンの問題意識のほうが、本質的であるような気がする。即ち、大革命・大変革としての「カーニヴァル」をドカンと一発打ち上げた後、熱狂冷めやらぬうちに(夢から覚めないうちに)、恐怖政治を敷いてしまう、という算段である。

町にあるお祭りは、結局のところ儀式であって、それらに参加するときには、人生を賭けた重さみたいなものが伝わってくるものだけれど、現代社会におけるこういうお祭りは、異様なほどに軽くて、背中がなくなってしまったような気分になる。後の祭りにならないために、私は、最大限、自分の背中を作らなければならないと思う。





あと、ネット界隈で、もうひとつ気になるのは、言論がある一方向に偏っていることである。現時点で50userを超えるホットエントリーを並べてみると

私は日本は大増税+小さな政府以外に未来の選択肢を持たないことを明確にしている小泉首相を支持します。

いずれも、小泉首相を支持する内容の記事である。別に、ぶくまっていれば賛成とは言えないし、アイロニーみたいなところもあるかもしれない。だが、50userを超えないブログについても、その多くは小泉首相を支持する内容の記事となっているのも事実だ。



世論調査による小泉首相の支持率が概ね50%であることを考えると、偏りはそれなりに激しいものなのだろうと思う。
そして、この偏りを見ていると、蓮實重彦氏がいくつかの雑誌で書いていた「75の原則」のことを思い出す。

ある国においてある政策が75パーセント以上支持されたら、その段階でその支持は誤りだということを、全員が意識しなければならない

ネットでホットエントリーを読むときには、誤りとまでは考えなくても、支持というフィルタを少しずらしてみたほうがいいということだろう。



ちなみに、変な話だが、ここにきて、新聞の存在感が際立っているように思う。書いてあることがあっているとか間違っているとかは別にして、何だか世間の人たちとはちょっと違うこと言っているよ、迎合してないよ的な意味で。

と思ってたのに、今日見たら、思い切り迎合している新聞があって、かなり嫌になった。どこの誰とは言わないが。





・・・気付いたら、もう、真夜中だ。まだ、そのいちしか書いてないけれど、というか、別にこんなことはほんとどうでもよくて、ちゃんと郵貯のことが書きたかったのに。でも、明日の打ち合わせで寝るわけにいかないのでもう寝ることにする。続きは明日。