That kiss will live in my heart



なんでぬいぐるみにキスしているんだろう、と思ったときには、もうキスなんて終わってる。
ふと、私は、ある歌詞を思い出した。


That kiss will live in my heart


ここで、in my heart とするのが、アメリカ人らしいのかもしれない。



















何となく、昔、NYに行ったときのことを思い出した。

私は、NYに住んでいた友達に連れられて、あちらこちらとふらふらしていたのだけれど、夜も更けてきた頃、私がある交差点の先に行こうとしたときに、突然、友達に「あ、その交差点の先はだめ」と言われた。聞けば、NYはひとつ路地が違えば、命の保証がない場所がたくさんある、とのことだった。



この前、私のまわりの世界はとてもなめらかな感じが(一瞬)すると書いたのだけれど、そういえば、そうでない場所もあったのだった、と思う。身近なところの深い裂け目は、くっきりと見える形で、既に都市にも存在している。

でもって、この先は相当にとんちんかんに書いてみるとすれば、この現象は、先の文章で、in my heart としてしまう、アメリカ人らしさが生み出しているような気もする。



どの辺が、といえば。
That kiss will live in my heart、というのは、普通に考えると、まぁ、どうもあり得ないような気がしていて、それを何事もなく、さらっと書いてしまうあたり、なのだけれど。
これが本音ですよ、って言い切ってしまう、楽観的な感じ。



こういう言い切りは、なめらかにしない、というか、でこぼこをでこぼこのまま見せる、つまり、深い裂け目を見せることにつながるのではないか、と。



















話を戻すと。



That kiss will live in my heart



向こうの歌を少しでも誠実に歌おうとすると、こういうちょっと扱いづらい局面にどかんどかんとぶち当たってしまう。

それでも、すこしずつだけど、やっと、どうイメージをつくればよいかが見えてきた気がする。

それをうまく表現できるかどうかといわれると、まだまだ全然無理なのだけれど。