you'd be so nice to come home to

続き。3曲目。これで最後。


  • ぺトラ(レスボス島)1987年10月

 食事が終わると奥さんがやってきて、世話話をする。「私達、ずっとオーストラリアにいたんです」と彼女は言う。「お金を貯めるためにずっとオーストラリアで働いていました。そしてそのお金でこの家を建てなおして、民宿を出来るようにしたんです。それでギリシャに帰ってきました。みんなで一緒に。子供たちもギリシャで教育をうけさせたかったし。でも上の息子が昨日オーストラリアに行ってしまいました。高校を卒業したからです。仕事が必要なんです。昨日行ってしまいました」
 なるほど昨日はそれで何となく淋しげな顔をしていたんだな、と僕は納得する。
「日本の方ですね。オーストラリアで沢山日本の人見ました。クレヴァーな人達」そして彼女は哀しげに首を振る。それから畑の向こうの方に目をやる。そのむこうにオーストラリアが見えるかしら、という風に。「また来て下さい」と彼女は言う。「ここは静かでいいところです。今度はゆっくりと来てくださいね」
 そうする、と僕らは言った。今度は夏に来たいものですね。
「お子さんはいらっしゃらないの?」とふと思いついたように彼女は尋ねる。
 いない、と僕らは答える。
 彼女は僕らの様子を見て、それからにっこりと笑う。「でもまだお若いですものね」
 僕らは荷物をまとめ、勘定を払う。お金を受け取る時、彼女はとても恥ずかしそうにする。どうしてかはよくわからない。まだそういう客を相手にする仕事に慣れていないのだろうか。僕は案内してくれた女の子にと言って日本から持ってきた小銭をあげる。彼女は礼を言って、手のひらに載せたその小銭をじっと見る。「さよなら」と僕らは言った。そして彼女をその物静かなみずたまりのような哀しみのなかにそっと置き去りにした。
 それがぺトラの町で起こったことの全てである。

このエッセーはリアルタイムでは読んでないこともあって、他の作品と比較すると思い入れは薄い。それでもなお、この章のこれらの文だけは、ものすごく私を惹きつける何かがあるようで、何度も読み返してしまう。



これを読んだ後に、you'd be so nice〜を聴いていたとき、ふと、私は心の中の何かをみずたまりのような哀しみのなかにそっと置き去りにするかどうかをまだ決めかねていて、それゆえにまだ、プールの壁に向かって泳ぎ続けていて、壁にぶつかるよーっていう状況になってきている!ということを確信するに至った。



you'd be so nice by the fire とか女性が歌うのは何だかおかしい。でも、その火がみずたまりの水を蒸発させてゆく場面を想像するとき、恐らくは女性が歌ったほうが似合っている曲なのだ、とも思う。