過去を振り返る

リアルな方面で、ちょっとばかり引っ越すのを機に、ここのブログを閉じようかと思ったのだけれど、ここのブログは読み返すとあまりに無意味で面白いね、と思ってしまい、閉じられなくなった。



文字であることが恥ずかしいし、はっきりいって資源の無駄遣いでしかないぐらいくだらないことしか書いてないけど、それがまた楽しい。何の役にも立たないけど、ライブな感触が心をくすぐる。



でも、これは相手が自分だからそうなるだけ。情報がないのに、誰かの役に立つっていうのは、まだ私には無理なのだ。うーむ。



しかも、もう1年も終わりに近づいてきたけど、ここ2ヶ月が、私にとっては、今年一番のイベントてんこもりなので、くまについたリボンを見て泣いていたり、はちみつが腐っていないか心配したりしている場合ではないということを、ちょっと気が抜けた瞬間に忘れがちなのはどうにかならないものか。



とはいえ、そんな私を置き去りにしたまま、多分、あと1ヶ月で色々な糸がつながって、色々な解決をみるに違いない。まさか、ハワイに行って、タイランドにつながるとは思わなかったように。


   

さぼる

ここまでよく人生をさぼってきて、まぁここまでどうにかなってきたというのは、ほんとうにまわりに感謝としかいいようがないのだけれど、いよいよ才能の問題ではなく努力の問題であることが露呈してきたことについて、これ以上まわりに迷惑をかけてはいけないと思いながらも、どうもからぶってばかりでうまく先に進まない。



やりなれていることをやりたいようにやるのは、気分的に楽だけど、それでは、最終的に本当の意味でつらい思いしか残らないのだろう。


   

目覚まし時計が鳴らない

最近、目覚まし時計が鳴らない日が結構あって本当に困っている。
電池を変えても無駄。
しかも、そんな日は必ず地震がくる。



今までは自分の体調が悪くなるぐらいで済んでいたのに。
それだけではすまなくなってきたのかもしれない。
私の家って何かの磁場なんだろうか?



それとも単に、目覚まし止めて寝ちゃっているんだろうか。


   
夢うつつに2台も止められるほど器用じゃない。気がするけど。


   

コミュニケーション

さっきまで、NHK山下洋輔さんが出演されていて、それを見ていた。多分、私が変わったのだと思うけれど、フリージャズはそこまでフリーには聞こえなかった。とても規則的に感じられた。タモリさんがあいさつをしているのを見て、生放送とジャズは似ているなと思った。



というか、生放送みたいなものもジャズみたいなものもプレゼンみたいなものも、みんな似ている、とか思う。私は生放送って嫌いだった。苦手だった。だから、そういう仕事をするのはやめよう、って思ってた。でも、そう思っていたのは、経験が足りなかったからなんだって、最近は思う。あがり症で緊張が解けない私は、昔はプレゼンもセッションも嫌いだったけど、プロの人たちに助けてもらいながら、経験を積むうちに、その緊張感も含めて、少しだけ楽しいと思えるようになった。ちょっとだけ、心が通いあえる瞬間というのがあって、その瞬間を共有できることが、とてもうれしい。でも、それは自分の実力じゃなくて、助けてもらっているからできるだけ。私にはまだまだ伝える力も聴く力も足りてない。心が通い合うのは、本当に本当に一瞬のことだから、それを逃しちゃいけないのに、なかなかうまくいかない。



何となくだけど、だから生きているんだと思う。私たちはものを作りたいのではなく、そこに通う何かを求めてるのかな...。



いや、ものもつくりたいな...。



と思ったのは、最近の発声練習は、ぽにょばっかりだからです。結構難しい。
まずは体力をつけなければ。


   

涙が止まらない日もある

このことをどうやって人に伝えたらいいのか、それって本当に難しい。
でも、難しいからこそ、、、ということが書きたかったわけではなく、
ただ、単に涙が止まりません。



と、書いていたら止まりました。
もう一度、同じ気持ちになるのは、またいつの日か。
同じではなくて、同じような気持ちというか。



少しの風景、ブラウン管越しに見てるだけなのにね。
別に液晶でもないのにね。というのは関係ないけど。



今年は花火に行けなかった。
最後の花火だったのに。
気づいたら、行けないほど、体力が消耗していた。
そろそろ本気で鍛えないといけないですね。
人のことを言っている場合ではない。



最近のマイブームは、明治ブルガリアヨーグルトのジングルで発声練習というものですが、それだけではだめそうです。(ちなみにあなどっていたのですが、結構難しい)
ジングルシリーズは楽しいのでちょっと続けてみようかとも思いつつ。
いや、山の手線シリーズのほうが楽しいかも。。。



話が脱線しすぎましたが、今年は花火見たら、泣いたかな、と思う。
何となく、泣きはしなかった気がする。
それよりもブラウン管の先のほうがすごく気になるわけで。
この微妙な気持ちの差というのが、今の私の全てに近い一部。


   

i pod you tube he ... つづき

ひさしぶりのlogモードです。戻ってくるのに2ヶ月もかかっちゃいました。



1年半も前のブログの続きを書くのも変なものですが、やっと、あぁそうかーって分かったことがあったので、少し書き留めておきます。


1.0のiPodがあって、

2.0のYouTubeがあって、

3.0は何かなってふと思った。


3人称?


宇宙博士のおっしゃっていた世界は、ほんとうに、もう、やってきてしまったのかもしれません。

私でもあなたでもない、あの人。の世界。


この解釈はすこし間違っていて、宇宙博士のおっしゃっていた世界ではなかったけれど(但し、一回ばらして統合するという意味では、その世界と寸分違わないけれど)、やっぱり三人称ではあったような気がします。
私の世界があって、私とあなたの世界があって、私とあなたと彼(ら)の世界が作られていくような予兆を感じます。
私と彼らとを結ぶものは、五感とか六感の何れかであって、1.0や2.0よりはだいぶ変化しそうですね。
もう私にはついていけなくなってきました。
でも、私は勝手についてゆくのです。私の意志に関わらず。