下書きブログ

そういえばここは下書きブログであった。
というか、ずっとそうなわけなのですが。
このテーマについてはずっとこっちに書いてきてたので
結構迷いましたが、やっぱりその原則にしたがいます。
もう一回ちゃんと読んだ後に、本サイトのほうにあげたいと思います。



最近そういう意味では少しずつだけれど私にとってのネットの意味は変わりつつある。
今まではすべてをリアルに持っていこうって思っていたのだけれど、
結局それには限界もあるので、インフラとしては非常に頼りないのは承知で、
でも今の時点で先に進むために、少しだけインターネットに頼ってもいいのでは
ないかと思うようになった。
少しだけ。
もちろん、リアルが一番大事。だけど、いつか何かが起きたときに
こちら側の世界が役に立つこともあるのではないか?と。
要はバランス、というか。


  • 私は続編がなくていいと思う。
  • 人間って本当にすごいと思うけど、バーチャルなものって結構簡単に作れる
  • 60年代と76世代の関係性
  • コモンセンス
  • ミーム的な何かという意味での共通点
  • 結局はそこから逃れられない
  • 私も何もできなかった、という個人的経験
  • 免疫
  • 軽いうそと軽くないうそ
  • 死への想像力
  • 結局は非常に個人的なことでもある。たとえば愛とか。
  • 結局は恋愛小説ということでもある
  • アマゾンはとってもよい
  • 偶然には、作られた偶然と、自然と起こる偶然がある。
  • 未来に向けてのメッセージ
  • paper moon とblue moon


   

とりあえずメモ

  • 日本でも監視と監査にある程度のパワーを注ぐのはやむを得ないのではなかろうか?これだけ分かりづらい状況になったら、ひとりで何とかするとかというのは、もはや無理な部分があるように思う。
  • やっぱりヨーロッパには色々なヒントがある気がするし、でも、それはアメリカと比較したときの相対論の上に成り立っているような気もする。それぞれはそれぞれを際立たせるのだけれど、それはそれで厳しい世の中とも思う。


   

かなしいこと

かなしいことには目を背けたくなるけど、まぁ、仕方なく受け入れる。
今の私にはそれすらできない気がしなくもない。



人間のパターン認識は、ほんとに恐ろしい。
どこかでふれたことのある、とある感覚というものに対して、
なぜその触れた事実を全く思い出せずに、そのときの
感情だけを引きずってみたりするのだろう。



でも、過去に触れた事実にふと気が付き、
何だ、そういうことだったんだ、私は間違った、って
思っても、そのときには、だいたいもう遅い。



でも、一方では、もしかすると、この間違う行為自体が重要で、
それが感覚や勘という言葉に置き換えられていくものなのかもしれない、とも思う。



あるひとつのことが全体を表しているとすれば、
間違って感情を引きずることが、
結果的には、あってた、ってことになるのかもしれない。
だから、勘でよいのかもしれない。



絶対に触れることのできないことに、擬似的に触れられたと思えば
それはそれでいいのかな。


   

くるしくて

くるしくてくるしくて
眠れそうにないとか思うけど
結局はつかれていれば寝られるものです。



でも、やっぱりくるしいのは嫌なので
早く解放されたいです。



このくるしさを失うとき
それはさびしいことでもあるけれど
それは正常なこころに戻るということでもあって
自分にとって気楽な方向に向かうというのは
それだけでも自分を支える力になることもある
んじゃないかと思う。



どうにも
自分に追い立てられる人生であるよりは
自分を追いかける人生であってほしいとは思う。



どちらもきっと苦しいけれど、心を痛めなくてよさそうだから。


   

なみだとさくら

どちらも散る
どちらもどこかへ戻る
いつかはみんな戻る
だからこそ強くなれる



ひさびさにぶろぐを書いておこうと思ったのは、春樹さんのこと、思い出したから。
(それ以外の話題はここにはほとんどないですね)



この前の講演を本屋で立ち読みして涙がこぼれた。
桜をみてそれを思い出した。



http://d.hatena.ne.jp/U-5/20060131/1138728567
そして、ここで書いたこと、も思い出した。
自分以外とのかかわりというものについて。



http://d.hatena.ne.jp/U-5/20071125/1196011536
私と会社は違うのだから、会社は私との違いを明確にしてもらわないと困る。
というか、そういうのが本当にわかりづらい時代がしばらくあった。
(けど、最近は少しだけ元に戻ったかもしれない。
でも、これ以上、ただ単に戻ったら何の意味もない。)



http://d.hatena.ne.jp/U-5/20060126/1138295300
わかりづらい時代。
自分が属すべき場所の選択は非常にあいまいで。
ちょっとだけわかり易くなったのは見せかけだけなのか
自分が属したい場所の選択は難しく
なんか落とし穴だらけ。
痛みのワクチン、それはもうどこかへ消えた。
(ではなく元々ないですね)
つらい!
だからこそ、大切にしたいものがある。



http://d.hatena.ne.jp/U-5/20060507/1147015700
わかりあえなさというものをもちあわせたまま
つなぎとめるのは大変なことだけど、
その目に見えない大切なことを、本当の意味で大切にしないといけない。
とても難しいけれど。



http://d.hatena.ne.jp/U-5/20061126/1164560662
これはある種の予言であったかもしれないけど
残念ながら本人にはぜんぜんその自覚なし。
わかってればもう少しうまくたちまわれたかもしれないが
おそらくそういう星のもとには生まれてない。
ので、期待はしていない。
いずれにせよ、行き過ぎた意味のない可視化は破滅をよぶ。
やっかいなことに、意味のある可視化と意味のない可視化は
同じようなところにいて私たちをまどわせる。
お金のようなものがもういくつかあったら、
もう少しみんなが幸せになりやすかったかもと安直に思ったものの
それこそやぶへびで意味のない可視化でしかない。
あまり弱さにつけこまないでほしいけど、それより強くなることが大事で、
全体が強いシステムがありえないのなら、
少しずつが強くなるしかない。
幼稚だな、私は。(私も)



たった2世代でシステムは変わる。
この世界が生み出す相互作用のエネルギーというのは本当にすごい。
そのエネルギーを私たちは失うことはなくて、どんな形であれ
発散していく。



その発散の方向はさまざまで、
いろいろおかしなことも起きているけれど、私は少しずつよい方向に
向かってきていると信じています。が、それはそれで、また宗教みたいな
ものです。というふうには思います。
そういう宗教はさておいて、みんなの心が何かを動かした、ということは
とてもうれしいことだと素直に思います。



楽な日はあまりないけど、こういうことがあると救われる。
そして意味のあまりよくわからない総括をもって、
春がきたけど冬眠します。おやすみなさい。よい春を。


   
http://d.hatena.ne.jp/U-5/20060128/1138462182
これについての自分なりの結論がでたときには、
またここに戻ってくると思います。



http://d.hatena.ne.jp/U-5/20060126/1138295302
結局はこういうことなのだけど、よい原因を考えるのに
思考停止中。
簡単なことのはずなのに、頭がこんがらがってる、、、


   
http://d.hatena.ne.jp/U-5/20051211/1134239204
個人的にはこういうこと。
と思えば、少しはすっきりする。
ついたてを、倒す。



そうだとすると。
ここにはしばらく戻ってこなくて、別のぶろぐを再開することが
正しい。本当かな・・・。多分。個人としては。(ここが重要)